| そんな私に向かって母は、「純粋な心をもっているよ」と長男の長所ばかりを褒めて聞かせてくれました。回転するモノに固執する長男を「将来は機械関係に進むといいね」、そんな風に言ってくれた父。義父母からも責める言葉は一つもなく「大変だろうが、頑張って」と。 | ![]() |
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そして「人と同じじゃなくてもいいじゃないか」、主人のその一言で、心の中の大きな塊が溶けていくような気がしました。 もし私を支えてくれる家族がいなかったら、イライラが高じて、わが子を叩いて殺してしまっていたかもしれません。 5月に5歳になる長男は、理解ある保育園のおかげで、人より遅いけれど、この子なりのペースでゆっくり確実に歩んでいます。わが子の歩みに合わせて、行きつ戻りつしながら、私も少し成長しました。人の言葉や視線で傷ついて初めて、自分が人を見下すような人間であったことに気づいたのです。 ブランド志向の無意味さ、愚かさ。この子に出会えてなかったら、私は今頃どんな母親になっていただろう? いま、障害児教育に携わる準備をしながら、もうすぐ3人目の子を産みます。 (平成13年3月掲載)
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そんなある日。近所のおばさんが、母に、「わが子がかわいくないんか。あんた、いまみたいな母親してて、この子らを駄 目にしてええんか」と。母親の愛を知らずに育った私の母。どんな親になっていいのかわからなかった。母も変わりたかったんです。 |
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「こっちおいで」初めてやさしい声で言ってくれた日のこと。「お母さんな、心臓弱かったやろう......」。妊娠したとき、産んだら駄
目だと医者に言われたと。「そんなときな、思わず、自分の体どうなってもええって、先生に頼んだんやで......」 いま調理師として幼児院で働いています。施設は食事も世話も行き届いている。精一杯の愛情を込めて、私は毎日ご飯をつくる。だけど、お母さんの代わりはできない。どんなに自分勝手な理由で、わが子を虐待したり捨てるような母親でも、子どもたちが待っているのは−、お母さんなんです。 (平成11年3月掲載)
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| 酔うと口癖のように、「この家族でよかった」という父。仲間をかばい会社を辞めて、ゼロから工場を始めた父の必死だった姿。 「お母さん、この20年、お父さんと一緒に積み上げてきたじゃない。離婚なんて、子どもはつらい。弟はまだ10歳なのよ」。2人を前に叫んでた。いままで折れることなどなかった父が、初めて涙を流したのです。 | ![]() |
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母は「...お父さんの面倒見きれる人、私しかいないって、お父さん知ってくれてる...」。幼い時、両親が離婚し、自分の親のぬくもりを知らない父。そんな父のこと、やっぱりわかっているのでした。「お父さんと喧嘩しちゃった」「大丈夫?」「大丈夫よ」
素直に自分を出せるようになった母。
"お父さん、受けとめてくれたんだ"
私は、この家族でいたい。東京にいる私の支えなんだもの。
(平成11年3月掲載)
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| 勝手に生んだくせに...少しも振り向いてくれなかった母をずっと恨みに思ってた。でも、私の身を案じてくれた。わかってくれてたんです。"生まれてきてよかった"あの時、そう思わせてくれた母−。 我に返りました。娘の心を少しも覗こうとしなかった。"お前のため"と言いながら、世間体や身勝手な思いで、追い詰めていた。「私なんか、いらないんでしょ!」娘はそう叫んでいたんです。「お母さんの思いばっかりお前に押しつけていた。ごめんね」。 言った途端、娘は声をあげて泣きだしました。「本当はお母さんが大好きなんだよ、大好きなの...」 | ![]() |
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子の幸せを願わない親なんて、いません。「勉強しなさい」相変わらず言ってます。「わかってるって」とにっこり応える娘。それにしても、「高望み、するな、それは、お前の子」、前からそう言ってた主人。私のこころ、本当は補ってくれてたんですね。
(平成10年9月掲載)
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